講師紹介:榛名 由梨

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榛名 由梨

YURI HARUNA

元・宝塚歌劇団

担当:面接

 

【Profile】

 
元・宝塚歌劇団/49期生
 
大の宝塚ファン同士の両親のもとに第一子として出生、兄弟は弟がひとり、また父方の祖父に日本画家・山下摩起(やました まき)がいた。
 
中学1年生から3年間、宝塚コドモアテネに通い、西宮市立大社中学校卒業後、宝塚音楽学校入学。芸名は当時実弟が所有していた旧海軍の『榛名』の模型から命名した。
 
1963年:宝塚歌劇団に入団。入団時の成績は62人中3位。初舞台公演の演目は星組公演『花詩集-1963年』。49期生。大滝子・郷ちぐさらが同期。
1964年:月組に配属。
1968年:月・雪合同公演『ウエストサイド物語』で頭角を現す。若手時代はまずダンスで実力を発揮した。
1973年:月組トップ古城都の退団を受け、同期・大と複数体制ながらトップスターに就任。
1974年:トップ披露公演『白い朝/ロマン・ロマンチック』。
『秋扇抄/ベルサイユのばら』初演(月組)で男装の麗人・オスカルを演じた。
1975年:花組へ異動。2期下の安奈淳と共にダブルトップに。『ベルサイユのばら 〜アンドレとオスカル〜』でアンドレを演じ、オスカルを演じた安奈と熱狂的なベルばら旋風を巻き起こした。このころ安奈、汀夏子、鳳蘭とともに「ベルばら四強」(あるいは「ベルばら四天王」)と呼ばれた。
1976年:『あかねさす紫の花』初演。中大兄皇子役。同年月組へ復帰、6月22日に退団した大の後任として月組男役(単独)トップに“返り咲き”就任。
1977年:『風と共に去りぬ』で初代レット・バトラーを演じる。初めてトップスターが口髭をつけたと話題に。
1979年:月組トップでありながら副組長も兼務する異例・破格の扱いとなる。
1981年:『新源氏物語』初演。光源氏役。
1982年:『あしびきの山の雫に/ジョリー・シャポー』(本公演)、『永遠物語』(宝塚バウホール公演・初演)。『シブーレット』(宝塚バウホール公演)を最後に大地真央にトップを譲る形で専科へ組替。
1983年:星組『オルフェウスの窓』に出演。
1984年:春日野八千代、神代錦ら専科メンバーによるストレート・プレイ「花供養」(バウ・初演)近衛信尋役。
1985年:花組『愛あれば命は永遠に』に出演。 
1986年:雪組『三つのワルツ』に出演。
1988年:『永遠〜』を宝塚バウホールで再演、星組『戦争と平和』東京公演千秋楽が最終出演公演。同年12月31日付をもって南風まい、但馬久美らと同時退団。
 
退団後は女優として演劇舞台を中心に活動しているほか、『ベルサイユのばら』の再演時にはスタッフとして演技指導を行っている。また、宝塚市の広報大使も務めている。
 
2014年:古巣である宝塚歌劇団の創立100周年を記念して創立された『宝塚歌劇の殿堂』最初の100人のひとりとして殿堂入り。なお、前述の「ベルばら四強」と呼ばれた榛名・安奈・鳳・汀の四名は全員殿堂入りの栄誉に浴している。
 
現在、宝塚歌劇団生徒や宝塚音楽学校受験生など後進の指導、宝塚OG公演やリサイタルなど舞台を中心に活躍中。

榛名 由梨

YURI HARUNA

元宝塚歌劇団

担当:面接

【Profile】

 
元・宝塚歌劇団/49期生
 
大の宝塚ファン同士の両親のもとに第一子として出生、兄弟は弟がひとり、また父方の祖父に日本画家・山下摩起(やました まき)がいた。
 
中学1年生から3年間、宝塚コドモアテネに通い、西宮市立大社中学校卒業後、宝塚音楽学校入学。芸名は当時実弟が所有していた旧海軍の『榛名』の模型から命名した。
 
1963年:宝塚歌劇団に入団。入団時の成績は62人中3位。初舞台公演の演目は星組公演『花詩集-1963年』。49期生。大滝子・郷ちぐさらが同期。
1964年:月組に配属。
1968年:月・雪合同公演『ウエストサイド物語』で頭角を現す。若手時代はまずダンスで実力を発揮した。
1973年:月組トップ古城都の退団を受け、同期・大と複数体制ながらトップスターに就任。
1974年:トップ披露公演『白い朝/ロマン・ロマンチック』。
『秋扇抄/ベルサイユのばら』初演(月組)で男装の麗人・オスカルを演じた。
1975年:花組へ異動。2期下の安奈淳と共にダブルトップに。『ベルサイユのばら 〜アンドレとオスカル〜』でアンドレを演じ、オスカルを演じた安奈と熱狂的なベルばら旋風を巻き起こした。このころ安奈、汀夏子、鳳蘭とともに「ベルばら四強」(あるいは「ベルばら四天王」)と呼ばれた。
1976年:『あかねさす紫の花』初演。中大兄皇子役。同年月組へ復帰、6月22日に退団した大の後任として月組男役(単独)トップに“返り咲き”就任。
1977年:『風と共に去りぬ』で初代レット・バトラーを演じる。初めてトップスターが口髭をつけたと話題に。
1979年:月組トップでありながら副組長も兼務する異例・破格の扱いとなる。
1981年:『新源氏物語』初演。光源氏役。
1982年:『あしびきの山の雫に/ジョリー・シャポー』(本公演)、『永遠物語』(宝塚バウホール公演・初演)。『シブーレット』(宝塚バウホール公演)を最後に大地真央にトップを譲る形で専科へ組替。
1983年:星組『オルフェウスの窓』に出演。
1984年:春日野八千代、神代錦ら専科メンバーによるストレート・プレイ「花供養」(バウ・初演)近衛信尋役。
1985年:花組『愛あれば命は永遠に』に出演。 
1986年:雪組『三つのワルツ』に出演。
1988年:『永遠〜』を宝塚バウホールで再演、星組『戦争と平和』東京公演千秋楽が最終出演公演。同年12月31日付をもって南風まい、但馬久美らと同時退団。
 
退団後は女優として演劇舞台を中心に活動しているほか、『ベルサイユのばら』の再演時にはスタッフとして演技指導を行っている。また、宝塚市の広報大使も務めている。
 
2014年:古巣である宝塚歌劇団の創立100周年を記念して創立された『宝塚歌劇の殿堂』最初の100人のひとりとして殿堂入り。なお、前述の「ベルばら四強」と呼ばれた榛名・安奈・鳳・汀の四名は全員殿堂入りの栄誉に浴している。
 
現在、宝塚歌劇団生徒や宝塚音楽学校受験生など後進の指導、宝塚OG公演やリサイタルなど舞台を中心に活躍中。